何度目の青空か

書きたいことだけ書いてます

いまを生きた皆さん

いまを生きる 千秋楽おめでとうございます。

まだ少し暑さが残る10月5日に幕を開けてから全24公演、こうして千秋楽を迎える頃には厚手の上着が必要なくらいになりました。

当初、自担のえび座より持ってるチケットの枚数が多くて(最終的に同じくらいになったけど)内容も相まってあの舞台を何回を見られるのか不安もありました。

観劇にこんなに体力を使ったのはたぶん初めてで、でも見るたびに発見があって幸せな公演期間でした。



周りのおたくの皆さんが考察とかはしてくれているので、だらだら感想だけ書きたいな〜と思って書きます。





いまを生きるになかむらくん、みやちかくん、しめちゃんが出ると決まってすぐに映画を予習を兼ねて見ました。

…え、わからない。

まず顔が一致しない。
キャメロンだと思っていたのがニールだったり
ニールだと思っていたのがノックスだったり
ノックスだと思っていたのがトッドだったり。

かつクライマックスが突然の出来事すぎて理解が追いつかなくて、幕が開いて内容とか飲み込めなかったらどうしよう…て思ってました。


結局大丈夫だったんですけどね。


大丈夫だったけど、初日に泣きすぎて自分でびっくりしました。
もちろんみやちかくんはじめみんなの演技が素晴らしかったのもあるし、私情を挟めばニールの気持ちが少しわかる気がして何か思い出すものがあってぼろっぼろに泣きました。

ニールパパはニールを縛り付けているつもりなんて無くて、むしろみんなが憧れる学校に通わせて欲しい物はすぐに与えて、医者という職業になってほしいからその為に息子にやってあげられることは全部してあげている、不足なんてない、そう思ってる。

でもニールにとってはそうじゃなくて。
親が喜ぶから「ヘルトン」に進んで、でも本当に欲しいのは物ではなく者(親からの愛)で、親が喜ぶから医者を目指している、でも本当にやりたいのは役者。今までは親が喜ぶことをやってきて、喜んでもらえるなら親が敷いたレールの上を迷いなく進んできた。成績だってトップ。親にとって自慢の息子なはずなのに、16歳になり精神的にも成長してきてやっと見つけたやりたいことを頭ごなしに全否定されてしまった。キーティングからかけられた言葉も自分が期待したものではなかった。そして幕を開けた劇中劇、真夏の夜の夢。パックとして有終の美を飾り初めての舞台だけでなく自分の人生にも幕を閉じる。16歳のニールは色々なことを考え天秤にかけ、出した結果がこれだった。



わたしも高校進学時、やりたいことがありました。ニールほど頭も良くなかったけれどずっと田舎で縛られて生きてきて生きづらくて逃げ出したくて親や先生にもやりたいことを言い出せなくて、結局高校を卒業してやりたかった夢を叶えられずに社会人になってしまいました。
今からでも追えなくはない夢だけど、わたしが選んだのはいくらでも代わりのいる平凡な生活でした。



ニールパパの口調が、態度が、自分の親にとても似ていてそれが余計に苦しかったです。


わたしもニールの最期のようなことを選ぼうとしたことがありました。でも怖くてできなかった。だから、ニールが羨ましくもあります。

そして、苦しかっただろうなと思います。


親の前ではいい子を演じ
みんなの前では優秀で明るい子を演じ
本当の自分を出せる空間がなかったんじゃないかと思います。

そんな時に転校してきたルームメイトのトッド。
ニールは自分とは真逆で、自分を出すのが苦手なトッドの前では少しずつ本当の自分を出せるようになっていたんじゃないかと思います。

ずっと無意識に演じることに慣れていたから、慣れてしまっていたから、だったら自分とは全然違う人物になりたかった、一種の現実逃避をしたかったんじゃないかな、と……


それを全否定されたニール。
せめてもの、最後の反抗はニールとして、ではなくパックとして引き金を引いたことではないか、と。



厳しい父のようにみんなを包むノーラン校長
新しい恋を知りまた美しく輝くクリス
ウェルトンにやってきて何か新しくなれたトッド
愛を知りまた一歩大人になったノックス
真面目で頑張り屋だけど本当はニールに憧れるキャメロン
純粋でうぶで必死に成長しようとしているミークス
ちょっとやんちゃだけどでも漢気があるダルトン
みんなの太陽であったニール
そしてみんなを親のように兄のように見守ってくれたキーティング先生


皆さんがウェルトンとその周りで過ごした毎日がこれからもどこかで輝く思い出になれますように。





それでは皆さま、おやすみなさい。